東京宣言2011 > Appendix
脚注1
日本においては、江戸期になると、前期は後世方派が引き続き力を持つが、中期の元禄以降では古方派が台頭する。また、江戸期を通して、西洋医学がオランダ経由で日本にもたらされ、漢方にも影響を与え、江戸後期には漢方と蘭方を折衷する漢蘭折衷派も生まれた。その後、西洋医学が東洋医学に取って代わることになる明治維新の変革へと突き進んでいくことになる。
鍼の分野では、安土桃山から江戸前期の流れの中から管鍼法が生まれ、細い鍼や鍼管を使った微細な刺激法へと独自の変化が生まれた。また、灸は石臼や唐箕などを使った精製度の高い艾を製造して、少ない熱量の刺激法へと変化し、民間での活用がますます広がった。
この江戸時代には、日本は鎖国体制を取って、アジアの国々を植民地化した西欧の圧力を避けながらも、中国・朝鮮からだけでなく、オランダを通じて海外の文化・文明を自分のペースで摂取した。同時にオランダ経由で日本から管鍼法、打鍼法など日本独特の鍼灸もヨーロッパに紹介された23)。その結果、日本的な文化・文明を独自に育てながらも世界から孤立せず、むしろ最先端の医学的発見や治療の試みを行うなどの業績を残した。この特殊な背景が、日本の鍼灸を日本の文化・風土にあったものに質的に変化させる要因となり、その質的変化は、明治以降の近代化・現代化に『黄帝内経』系の鍼灸が順応する所以と考えられる。
現代の日本鍼灸には、陰陽五行理論ベースの『黄帝内経』系の古典的鍼灸、現代中医学の影響を受けた現代中医学的鍼灸、現代医学をベースにした現代医学的鍼灸、圧痛や反応に対応した治療、また、スポーツ鍼灸や美容鍼灸など専門科鍼灸などが併存する。それらは、現代の日本鍼灸の様相に見えて、実は過去の時代の鍼灸のあり方と関係が深く、類似した存在の仕方をしているようにも見える。
脚注2
鍼灸に関する法律は、1874年(明治7年)に発布された「医制」第53条が最初である。この医制第53条は、鍼灸を西洋医学の管理下に置くことを規定しようとしたものであったが、施行させることはなかった。しかし、その精神はそれ以降の法律に組み込まれ、今も変わることなく息づいている。その後、1885年(明治18年)「鍼術灸術営業差許方」が公布され鍼灸施術が正式に営業できるようになり、1911年(明治44年)「鍼術灸術営業取締規則」の公布により鍼灸営業は免許鑑札制となった。
それを大きく変える契機となった事件が、1945年(昭和20年)GHQの進駐軍衛生部の勧告(「医業以外の治療行為を全て禁止」)であった。この禁止勧告に対して、全国的な鍼灸存続運動が展開され、1947年(昭和22年)「あん摩、はり、きゆう、柔道整復等営業法」が公布され、営業身分が身分免許となった。しかし、鍼灸が医療システムに組み込まれることはなかった。その後、数次の改正を経て1970年(昭和45年)「あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律」が制定され、その内容が1988年(昭和63年)に大幅改正されて都道府県知事免許から厚生大臣免許(現厚生労働大臣免許)となり、今日に至っている。
脚注3
我が国における近代鍼灸教育は、明治維新以降早い時期に始められ、1903年(明治36年)に東京盲亜学校が発足し、盲学校における鍼灸マッサージの教科を教える教員養成が始まった。これは現在も筑波大学理療科教員養成施設(文部科学省認可)で行われている。1911年(明治44年)に定められた「鍼術灸術営業取締規則」により、小学校卒業以上で指定校(4年制)を卒業すれば営業免許を取得できるようになり、徒弟制度による鍼灸師養成に並行して学校教育をスタートさせた。それが大きく変わることになったのは1947年(昭和22年)「あん摩、はり、きゆう、柔道整復等営業法」の制定以降であり、すべての鍼灸師の養成は学校教育(専修学校、特別支援学校)において行うこととなった。この法律は1970年(昭和45年)に改正され、更に1988年(昭和63年)に大幅改正され、高等学校卒業後3年以上を修業年限とした単位制(86単位以上の修得。基礎分野14単位・専門基礎分野27単位・専門分野45単位)による教育が導入されることとなった。その間、1978年(昭和53年)明治鍼灸短期大学の開学を嚆矢として高等教育化が始まり、大学及び大学院鍼灸研究科修士課程、博士課程(鍼灸学)が開設され、鍼灸教育の完成をみるに至った。また1987年(昭和62年)筑波技術短期大学が、2005年(平成17年)筑波技術大学が開学され、2009年(平成21年)国立大学法人筑波技術大学大学院技術科学研究科修士課程(鍼灸学)が設置され、視覚障害の有無を問わず鍼灸の高等教育機関が整備された。
脚注4
日本鍼灸の具体的特徴の第一は「触れる」を重視することといえる。診断面では触診を重視し、特に脉診を重視したが、独自の解釈で六部定位脉診を開発して生まれた「経絡治療」はその典型といえる。また、脉診以外にも難経十六難以外の腹診術が開発される等、様々な触診技術が新たに開発され、進化して発達した。治療面では、皮膚を触れて経穴の反応を重視して取穴することや、圧痛・硬結等の皮膚・皮下の反応を重視し、それらの反応のあるところに施術することが多い。
第二の特徴として、西洋医学的発想の鍼灸治療の開発或いは診断器具の開発が挙げられる。良導絡、皮電点、差電点等の客観的診断器具・経穴探査機の開発と治療法が開発されたこと、また運動器疾患の診断に徒手検査を応用して客観性を重視したことが挙げられる。さらには、日本では科学的臨床基礎研究が発達し、臨床に応用されている。これらのことも一因となり、日本では西洋医学的発想の鍼灸が適応しやすい運動器疾患の患者が圧倒的に多く、更に交叉刺等、症状がある局所への刺鍼術も発達した。
第三の特徴として、患者負担の少ない弱刺激の鍼灸治療の開発を進めた結果、管鍼法、細く・浅い微鍼、接触鍼、小児鍼、皮内鍼、円皮鍼、レーザー鍼、電子灸等が開発された。
第四に、日本人の柔軟性のためか西洋医学的な治療法と『素問』『霊枢』等の古典に基づいた治療法を折衷する等の診断・治療法や手技・哲学を折衷する施術者が日本では一番多い。またそれだけではなく、温熱・電気治療等の器具を使った治療やマッサージ、カイロプラクティック、柔道整復術等や西洋医学との併療も広く行われている。
第五に、灸治療が非常に盛んなことがあげられる。特に透熱灸の実践は世界に類をみない。これは繊細な技術力で燃焼温度が低い艾が開発されたことに起因していると考えられる。
第六に、未病の治療が挙げられる。疾病の治療に止まらず、養生の灸、三里の灸等健康管理・増進を目的に鍼灸を受療する患者でない健康人、或いは未病の半健康人がどの施術所にも一定割合いる現状がある。