沿革

「日本経絡学会」 から 「日本伝統鍼灸学会」 へ

わたしたちの日本経絡学会は昭和48年に 「”経絡治療”派が学術の交流と相互の親睦をするための場として学会を作ろう」 という気運によって、 当時の“経絡治療研究会 (故岡部素道会長)”と“東洋はり医学会 (故福島弘道会長)”とが中心となって結成されたものである。
結成後は毎年一回の学術大会を開催して、 我国の古典に立脚した鍼灸医学の発展のために寄与して来た。

昭和63年の第16回学術大会からの5年間にわたって 「鍼灸における“証”について」 を中心テーマとして日本の鍼灸医術が抱えている諸問題を検討して来た。 その過程でわが日本経絡学会の果たすべき役割や今後の日本の鍼灸医術に求められている方向が明らかになってきた。 また、 この過程で日本の古典派といわれる殆どの研究・教育団体がこの日本経絡学会に共同して、 相互に切磋琢磨しあい、 発展しようとすることになって来た。

このような経緯の中から、 平成3年の第20回学術大会以来“日本経絡学会”の名称を 「名が体を現すように変更すべし」 との意見が強くなり、 既に20団体に近いこの学会の参加団体の全体の方向を包括して表現できるような名称に変更する事が検討されて来た。  改称の主な理由をまとめるとおよそ次の3点である。

1、 日本経絡学会が結成された当時には、 日本の古典に立脚した鍼灸の研究団体は、 50年間にわたる我国の鍼灸医術をリードしてきた経絡治療派が中心であった。 しかしこの20年近くの鍼灸学術の発展をみると、 経絡治療派以外にも古典に立脚した多くの鍼灸学術の研究・教育団体が結成され発展してきている。 今やこれらの多くの学術の研究・教育団体が大同団結して、 日本の伝統的な鍼灸の流れを太く充実させるべき時期に来ていると思われる。 そのために“日本経絡学会”の枠を外して、 もっと大きな方向に向かって流れを作るようにすべきではないか。

2、 当初の学会結成時に“経絡治療研究会”であった岡部素明先生の会が、 その後“経絡治療学会”と名称変更されたため、 日本経絡学会との間で名称の混同が多くなり、 事務上のトラブルが絶えない。

3、 対外的な名称の問題がある。 鍼灸医学が今後の世界の医学・医療に果たす役割はますます大きくなると考えられる。
しかし日本経絡学会の名称は国際的には 「経絡の研究をするための学会」 としか理解されず、 「我国の伝統的な鍼灸学術の中心となっている唯一の学会“日本経絡学会”」 とは理解されにくい。
日本の伝統鍼灸が世界に果たすべき役割を考えるとき、 学会の名称を世界に通用するようにする必要が有ろう。
平成8年ここに“日本伝統鍼灸学会”が発足したのである。

なお、 新名称の欧文標記は「JAPAN TRADITIONAL ACUPANCTURE SOCIETY」(JTAS) となる。

平成8年6月
名称変更小委員会