中国針灸学会制定
「新型コロナウイルス感染症への針灸介入に関する手引き」(第二版)
の「日本語訳」配信あたって
日本伝統鍼灸学会会長
形井秀一
現在、世界に急激に広がりつつある新型コロナウイルス(COVID-19)の感染が原因で亡くなられた方々、ご遺族、関係の方々に、心よりお悔やみ申し上げます。また、現在、闘病中の皆さま、患者の治療や対応にあたっておられる全ての方々に、お見舞い申し上げます。患者の皆様の病状の一日も早い回復をお祈り致しております。
COVID-19の各国の状況は余談を許しません。発生源である中国武漢では、封鎖が解かれつつありますが、日本ではここ数日が、爆発的な広がりを見せるか否かの瀬戸際だと思われますし、ヨーロッパや北米では、既に爆発的な広がりが始まった状況であり、東南アジア、アフリカ、南米でも今後急激な拡大が予測されています。これから数ヶ月が、地球全体で正念場を迎える時期になるものと思われます。
そのCOVID-19に対しては、現在まだ有効なワクチンがなく、医療現場では、既存の薬剤を投与したり、人工呼吸器やECMO(体外式膜型人工肺)などで、対応しているのが現状です。このような状況の中で、私たちができることは何か、鍼灸で何ができるかと、悩まれている鍼灸師の方々も多いものと思います。
そこで、先日、WFAS(世界針灸学会連合会)本部から、中国針灸学会が制定した「新型コロナウイルス感染症への針灸介入に関する手引き」が、中国語(簡体字)、英語、フランス語、スペイン語で送られてきましたので、日本語に翻訳して、皆様にお知らせしたいと思います。
これは、多くの総合病院の中で鍼灸が実践されている中国において、コロナウイルス感染患者に対する鍼灸治療を実際に行うための治療内容の紹介ですので、病院内で仕事ができる状況にない日本の開業鍼灸師が、即、実践できる状況や内容ではありません。しかし、その内容は、予防を考えた鍼灸治療を行う際には、役立つと思います。また、「3 医師の指導による在宅患者のセルフ針灸介入」は、日本でも実践できるものですし、今回のコロナの問題で、セルフケアの実践が大事だと実感した一人一人が「セルフケア(養生)」を実行しようとする際の考え方と実践方法が書かれているところです。
日本では、古くは、『喫茶養生記』(1211年)や『養生訓』(1713年)などには、中国の『備急千金要方』(652年)や『本草綱目』(16c後半)の流れを受けたと考えられる「東洋医学におけるセルフケアの重要性」が述べられていますし、吉田兼好の『徒然草』(1330年頃)や芭蕉の『奥の細道』(1702年)などに見られるように、一般の方々の間で、灸によるセルフケアが実践されてきた歴史があります。
今回のコロナの問題においても、首相官邸が発信する「新型コロナウイルス感染症に備えて ~一人ひとりができる対策を知っておこう~」(http://www.kantei.go.jp/jp/headline/kansensho/coronavirus.html)の「2.一人ひとりができる新型コロナウイルス感染症対策には」の中に、 (1)手洗い、(2)普段の健康管理、(3)適度な湿度を保つ、の3項目が上げられていますが、(2)の普段の健康管理の方法には、「普段から、十分な睡眠とバランスのよい食事を心がけ、免疫力を高めておきます。」と示されています。これは、まさに、「養生」そのものと言えるでしょう。また、その文章中の「免疫力を高める」方法は、本翻訳の前半に「現代の臨床・実験研究では、針灸に人体の免疫機能を調節し、抗炎症・抗感染作用を備え、感染症の予防・治療に対する効果があることを示唆している。」とあるように、鍼灸の果たす役割は小さくないものがあると思います。
このように、鍼灸が免疫力を高めることで病的状態の改善や予防的な役割を果たすことは、日本鍼灸界においても、戦前・戦後を通じて実験・研究を積み重ね、実証してきたところです。例えば、その研究は、原志免太郎の『灸法の醫學的研究』(春秋社、1929年)などの業績に残されていますが、戦後も灸に関する研究は積み重ねられてきました。現在でも、ボランティア団体・Moxafricaのアフリカにおける結核罹患患者への灸による治療ボランティア活動は、日本の灸の研究結果を踏まえた実践として、よく知られているところです。
今回、中国からの報告の翻訳をご紹介しますが、日中の医療状況の違いを踏まえ、それぞれの国におけるセルフケアの歴史の流れの違いなどにも思いを馳せながら、お読み頂けると良いと思います。そして、昔から、日本の鍼灸治療家や自宅灸でセルフケアを心がけている方々によって、免疫力を高める方法として「三里の灸」が指導され、実践されてきたことやその意味が見直され、研究や臨床、セルフケア実践が進み、日本のみならず、世界中の方々の健康が維持・増進されることを期待しています。
なお、本翻訳は、WFASから送られてきた<中国針灸学会専門家チームの制定した「新型コロナウイルス感染症への針灸介入に関する手引き(第二版)」>を小雀斎漢方針灸治療院院長の渡邉大祐先生に無償で翻訳して頂いたものです。渡邉先生には、お忙しい中翻訳の労をお取り頂いたことに御礼を申し上げます。有難うございました。
WFASから送られてきた中国語の原文と英語訳文です。各リンク先をご覧ください。
また、下記は、コロナウイルス患者に灸と鍼を実施している中国のニュースと報告です。参考にして下さい。
1.新型コロナウイルス患者に対する灸治療(熱敏灸)ニュース
https://news.livedoor.com/article/detail/17965507/
2.新型コロナウイルス患者に対する鍼治療報告
https://mp.weixin.qq.com/s/C-3UwJFtWXqn-8B1cVu49g
中国針灸学会
新型コロナウイルス感染症への針灸介入に関する手引き
(第二版)
新型コロナウイルス感染症(新型冠状病毒肺炎、略称:新冠肺炎)は、感染力が強く感染が拡がりやすい急性呼吸器感染症である。多くの人民の生命と健康を著しく脅かす感染症であるため、『中華人民共和国伝染病防治法』に規定される乙類伝染病に指定され、甲類伝染病に準じた管理が取られている。
新型コロナウイルス感染症は、中医学における「疫」の範疇に属す。中医学は、数千年来、長期に渡る疫病との戦いの中で、豊富な医療経験を蓄積してきた。針灸は中医学の重要な構成部分であり、独自の特徴と利点を備え、我が国の抗感染症の歴史において重要な貢献をしてきた。我が国の古典医籍には、針灸による感染症予防と治療に関する記載が残っている。
例えば、唐代の医家・孫思邈は『備急千金要方』の中で、「役人が呉蜀の地へ派遣されると、身体の左右3ヶ所に施灸する。灸痕を治さなければ(灸を続ければ)、瘴癘や温瘧の毒気が人に着かない。(凡人呉蜀地遊官、体上常須三両処灸之、勿令瘡暫差、則瘴癘温瘧毒気不能著人也)」と主張し、明代の医家・李時珍は『本草綱目』で「艾葉…。これを灸すれば諸経に透し、百種の病邪を治し、長患いの人を健康に為す、その効果また大なり。(艾葉…。灸之則透諸経而治百種病邪、起沈疴之人為康泰、其功亦大矣)」と述べている。これらは何れも感染症の予防・治療に針灸が有効であることを示している。
また、現代の臨床・実験研究では、針灸に人体の免疫機能を調節し、抗炎症・抗感染作用を備え、感染症の予防・治療に対する効果があることを示唆している。
中医針灸は、突如出現した新型コロナウイルス感染症の予防と治療へ積極的に参画し、すでにすばらしい効果を収めている。新型コロナウイルス感染症に対する認識と中医針灸診療の経験の深まりがみられたことから、我々は医療従事者の針灸治療実践や在宅患者への指導に供するため、国家衛生健康委員会弁公庁・国家中医薬管理局弁公庁発行の『新型コロナウイルス感染症の診療方案(試行第六版)』および『新型コロナウイルス感染症回復期における中医リハビリ指導意見(試行)』に基づき、『新型コロナウイルス感染症への針灸介入に関する手引き(第二版)』を作成した。
1 針灸介入の原則
1)新型コロナウイルス感染症発生期間中の針灸介入は、全体の状況を踏まえ、あらゆるレベルの医療機関の統一的な指導のもと、整然と進めること。針灸治療期間は、(ガイドラインの)指針を遵守し、厳格に隔離・消毒を実施すること。診断が確定した患者および回復期患者は同一病室内での針灸治療が可能だが、感染が疑われる患者には個室にて実施すること。呼吸補助治療中の場合、安全が保障される状況で灸を使用すること。
2)新型コロナウイルス感染症の臨床診断・ステージやタイプの確定および中医弁証論治は、国家衛生健康委員会弁公庁・国家中医薬管理局弁公庁発行の新型コロナウイルス感染症診療方案を遵守して実施すること。同時に針灸の特徴を十分に考慮し、的を絞った針灸介入を心がけること。
新型コロナウイルス感染症は「五疫」のひとつで、感染性が強く、「皆相染易,无問大小,病状相似(相互に感染し、老若を問わず病状が類似)」である。「疫癘(疫戻)」の(邪)気が口鼻から侵入し、大部分はまず肺を犯し、脾胃大腸に波及し、病状は軽い。一部の患者では、心包・肝腎へ逆伝し、重症化する。本病の変化は速く、主な機序と証候の発展法則はすでにある程度明確になっている。針灸は「経脈内連臓腑、外絡支節(経脈は、内は臓腑に連なり、外は四肢関節に絡す)」のルートを活用している。四肢体幹の穴位への刺激は、経絡を経て患部へ至り、臓腑経気を賦活・強化して、侵入した穢濁疫癘(疫戻)の邪を粉砕分離し駆除する。同時に経気を賦活化し、臓腑自身の保護能力を向上させ、疫毒による臓器への損傷を軽減させる。
3)針灸介入は病機の発展法則に基づき、医学観察期・臨床治療期・回復期の三つのステージに分類して実施すること。臓腑・経脈弁証を通じ、主穴を中心に、臨床症状に応じ適当な加減を行い、「取穴少而精(取穴は少なく精妙)」の原則を堅守すること。各患者の状況に応じ「簡易な操作」「簡便で実施が容易」「安全で有効」の原則にのっとり、刺針施灸方法を適宜選択すること。(針灸実施の)条件を整えるように努め、臨床の各ステージで針灸の作用が発揮できるよう最大限に努力すること。
臨床治療期間には、針薬を併用し、針灸の共同作用を発揮させること。回復期患者のリハビリにおいては針灸が核心的な作用を発揮すべきであり、針灸を主体とした新型コロナウイルス感染症リハビリ外来開設の展開を提案する。
4)針灸介入の穴位および刺針施灸方法の選択は、古代文献・現代臨床研究および基礎研究による根拠を鑑み、神経調節による肺機能の改善、自然免疫の調節、抗炎症-炎症誘発性因子のバランス調節、迷走-コリン作動性抗炎症経路の賦活化など、これまでの針灸研究で示されてきた成果を吸収し、呼吸器系の調節や炎症による肺損傷の修復作用の研究成果を体現すること。
5)疾病治療の補助や心身回復を助ける意義があるため、針灸の専門員は、インターネット・携帯端末や関連アプリ・微信(WeChat:中国のインスタントメッセンジャーアプリ)などを存分に活用し、患者自身が灸療法・穴位貼敷・穴位按摩などを実施できるよう指導すること。医師と患者のコミュニケーション・フォローアップのタイミング・診療データ収集に注意を払い、分析・総括を行うこと。
2 針灸介入の方法
1)医学観察期(感染が疑われる症例)の針灸介入
目標:人体の正気と肺脾臓器機能を賦活化、疫邪を粉砕分離・駆除し、臓器の防御作用(御邪能力)を増強させる。
主穴:
(1)風門・肺兪・脾兪
(2)合谷・曲池・尺沢・魚際
(3)気海・足三里・三陰交
毎回各組穴位を1~2穴選択し使用する。
配穴:発熱・咽の乾き・乾咳を伴う場合、大椎・天突・孔最を加える。悪心・泥状便・舌胖苔膩・脈濡を伴う場合、中脘・天枢・豊隆を加える。倦怠無力・食欲不振を伴う場合、中脘・臍周四穴(臍中上下左右各1寸)・脾兪を加える。透明水様の鼻汁・肩背のだるさ・舌淡苔白・脈緩を伴う場合、天柱・風門・大椎を加える。
2)臨床治療期(診断が確定した症例)の針灸介入
目標:肺脾正気を鼓舞、臓器の保護と損傷の減少、疫邪の駆除、培土生金、病勢をたちきる、情緒を落ち着かせ、病邪へ打ち勝つ自信を高める。
主穴:
(1)合谷・太衝・天突・尺沢・孔最・足三里・三陰交
(2)大杼・風門・肺兪・心兪・膈兪
(3)中府・膻中・気海・関元・中脘
軽症・中等程度患者には毎回(1)(2)より各2~3穴を選択。
重症患者には(3)より2~3穴を選択する。
配穴:発熱して熱が退かない場合、大椎・曲池または十宣・耳尖への放血を加える。胸苦しく呼吸が浅い場合、内関・列欠または巨闕・期門・照海を加える。咳嗽で痰が出る場合、列欠・豊隆・定喘を加える。下痢や軟便を伴う場合、天枢・上巨虚を加える。黄痰・粘稠な痰を喀出・便秘を伴う場合、天突・支溝・天枢・豊隆を加える。微熱や身熱不揚(または平熱)・悪心・泥状便・舌質淡または淡紅・苔白または白膩を伴う場合、肺兪・天枢・腹結・内関を加える。
3)回復期の針灸介入
目標:余毒の清除、元気の回復、臓器修復の促進、肺脾機能の回復。
主穴:内関・足三里・中脘・天枢・気海
(1)肺脾気虚:呼吸が浅い、倦怠乏力、食欲不振、悪心、痞満、大便無力、泥状便で排便後すっきりしない、舌淡胖、苔白膩などの症状が見られる。胸苦しい・呼吸が浅いなど肺系症状が顕著な場合、膻中・肺兪・中府を加える。食欲不振・泥状便など脾胃症状が顕著な場合、上脘・陰陵泉を加える。
(2)気陰両虚:乏力、口の乾き、口渴、心悸、多汗、食欲不振、微熱または平熱、乾咳で痰が少ない、舌乾少津、脈細または虚無力などの症状が見られる。乏力・呼吸が浅いなどの症状が顕著な場合、膻中・神闕を加える。口の乾き・口渇が顕著な場合、太渓・陽池を加える。心悸が顕著な場合、心兪・厥陰兪を加える。多汗には、合谷・復溜・足三里を加える。睡眠障害には、神門・印堂・安眠・湧泉を加える。
(3)肺脾不足・痰瘀阻絡:胸苦しい・呼吸が浅い・懶言・倦怠乏力・自汗・咳嗽で痰が出る・すっきり喀痰できない・肌膚甲錯・精神倦怠感・食欲不振などの症状が見られる。肺兪・脾兪・心兪・膈兪・腎兪・中府・膻中を加える。すっきり喀痰できない者には、豊隆・定喘を加える。
刺針施灸方法:針灸を実施する環境や管理基準に応じ、適宜選択する。
以上各ステージにおいて、病状に応じ針が適していれば針を、灸が適していれば灸を、あるいは針灸併用を、または穴位貼敷・耳針・穴位注射・刮痧(カッサ)・小児推拿・穴位按摩などを併用することを推奨する。刺針後平補平瀉法、各穴置針20~30分間。施灸(棒灸)は、各穴10~15分間。治療は毎日一回。操作の詳細は、国家標準『針灸技術操作規範』を参照、および臨床経験に基づき実施する。
3 医師の指導による在宅患者のセルフ針灸介入
新型コロナウイルス感染症の予防と制御のため、外出を自粛し、他人との接触を避け、感染源を封じ、安全を確保することが重要である。自宅隔離や退院後自宅で静養中の患者に対し、専門職員の指導の下、オンラインでの診療・指導・教育普及を通じ、針灸介入を実施させる。
艾灸療法:足三里・内関・合谷・気海・関元・三陰交などの穴位に自ら施灸(棒灸)する。各穴10分間程度。
敷貼療法:灸熱貼または代温灸膏などを足三里・内関・気海・関元・肺兪・風門・脾兪・大椎などの穴位へ貼付する。
経穴推拿:上肢肺経・心経および膝より下の脾経・胃経穴位に対し、点法・揉法・按法または揉按・拍打・叩撃法を行う。一回15~20分間。局部の酸脹感(だるく張った感覚)の出現が目安。
伝統功法:自身の回復状況に応じ適切な伝統功法を実施する。例:易筋経・太極拳・八段錦・五禽戯など。毎日一回、毎回15~30分間程度。
気分転換:感情の調節に注意し、耳穴・艾灸・推拿・薬膳・薬茶・薬浴・音楽などの方法を併用し、心身をリラックスさせ、焦りやイライラを解消し、睡眠を促進する。
足浴熏洗(足湯):例えば、疏風清熱袪邪の中薬(生薬)である、荊芥・艾葉・薄荷・魚腥草・大青葉・佩蘭・石菖蒲・辣蓼草・鬱金・丁香各15g、氷片3gなどの中薬を精選し、中薬を煮出した液を桶に入れ、温水を加え38~45℃前後に調節し、30分程度足を浸す。
本手引きは、中国針灸学会専門家チームにより制定した。
顧問:石学敏・仝小林・孫国傑
専門家チームリーダー:劉保延・王華
専門家チーム:喩暁春・呉煥淦・高樹中・王麟鵬・方剣橋・余曙光・梁繁荣・冀来喜・景向紅・周仲瑜・馬駿・常小荣・章薇・楊駿・陳日新・趙吉平・趙宏・趙百孝・王富春・梁凰霞・李暁東・楊毅・劉煒宏・文碧玲
翻訳:渡邉大祐
小雀斎漢方針灸治療院
https://kosuzumesai.com/